うつ病から統合失調症に、杏林大学付属病院に救われた | 私の統合失調症日記1

 

今は自宅で療養しています

杏林大学医学部附属病院の精神科を退院してからずっと自宅で療養しています。

 

働けなくなったのは2005年の2月で、それからニート状態です。

 

病名は統合失調症で症状は陰性症状になります。

 

最初は「軽症うつ病」

1999年に月の残業150時間をやりました。

もちろんサービス残業です。

 

私がいた会社は神奈川県横浜市戸塚区にあった自動車部品メーカーで児玉化学工業株式会社です。

この時はバブルも崩壊していて、お客の自動車メーカーから厳しいコスト削減を要求されていました。

私が担当するお客は日産自動車でした。

日産リバイバルプランが始まる1年前で、日産がどうして良いかわからずに迷走していました。

なので仕様がころころ変わり設計変更の連続です。

しかも、短納期なのでいくら残業しても終わらないのです。

体はボロボロで、慢性的な倦怠感と何をしても楽しくなく、やる気もなくなりました。

 

メンタルクリニックへ行ったら「軽症うつ病」と診断されました。

 

この時に自分で設計に携わった日産車を見ると、今でもいやな気分になります。

 

その後に日産リバイバルプランが始まったので混乱が収まり残業は少なくなり落ち着きました。

 

しかし、長時間のサービス残業に嫌気がしていたので、外資系の電気部品メーカーに転職しました。

 

会社の頭の悪い上司や年配の人達にも嫌気がしていました。

 

そして、その会社を辞める時に部長が、

上司X
上司ヨネコー

君がこの会社を辞めて、

他の会社で通用するとは思えないが?

 

と言ったので、

タケシ
タケシ

ありがとうございます!

 

その言葉を忘れないようにして、新しい会社で頑張ります!

 

と返したら、

上司X
上司ヨネコー

いや、違う!

 

実は辞めて欲しくないんだ!

 

と意味不明の事を言います。

タケシ
タケシ

いやいや、もう手遅れでしょう!

と返して終わりました。

 

タケシ
タケシ

世の中はこんな人間ばかりです。

 

まともな人間はいないものでしょうか?

 

それと他の会社で通用しない人間は、うちの会社もいらないが正解だと思いう。

 

しかし、体と精神は弱っていました。

 

次の外資系の会社は神奈川県川崎市多摩区にありました。

タイコエレクトロニクスアンプ株式会社です。

 

ここも働いてみたらメチャクチャな会社で、リストラもサービス残業もありました。

 

体育会系の会社で非論理的な人間だらけです。

学歴と英語が話せることだけが自慢です。

 

しかもその人達は仕事が出来ないので部下に「なんとかしろ!」と言うだけです。

 

本部長が経理部長を殴ると言うパワハラもありました。

 

この会社で残業を月に80時間しただけで体調が悪くなりました。

そして。

 

「うつ病」と診断されました

この時は30歳になっていました。

 

うつ病と診断されて、効き目が強いが副作用も強い薬を処方されるようにました。

 

副作用は眠気です。

仕事中に強い眠気に耐えられなくなりトイレの個室で寝ることもありました。

過食にもなり体重が15㎏も太りました。

 

医者の対応も悪かったです。

 

強い薬を飲まされて、副作用で苦しみましたが、

Dr.X
溝口の帝京大学病院のDr.

我慢しろ!

の一点張りです。

 

この時期は製薬会社により、うつ病と薬による治療が大きく宣伝されていました。

製薬会社が薬を売るためのキャンペーンを行っていたのです。

芸能人も使って「うつは心の風邪、薬で治そう!」とのキャッチコピーまで作られました。

後になって効果はほとんどなくて副作用ばかりである事が判明して投薬しなくなった薬もあります。

 

私は副作用と病気の症状で体調がさらに悪くなり、休職を繰り返してたら会社に居場所が無くなりました。

 

そして、逃げるように無謀な転職をしました。

 

次は山梨県の会社です。

シチズン電子株式会社です。

 

しかし転職先ですぐにダウンしました。

出社することが出来なくなり、1ヶ月持ちませんでした。

試用期間の間に会社を辞めることになります。

その会社の歴史で試用期間に退職した人間は私だけです。

山梨県での一人暮らしだったので、環境の変化にも弱くなっていた体が耐えられなかったのです。

 

そして、ここから無職のニートになりました。

 

最初は、自宅で休んで体調を回復させてから社会復帰することを考えていましたが、全然治りません。

 

「様子を見ましょうと」言うだけで何も手を打たない主治医に対する不信感もありました。

 

そして、病院を杏林大学医学部附属病院に変えて入院したら。

 

「うつ病」じゃなく「統合失調症」でした

私の場合は、幻覚や妄想などの陽性症状は無く、倦怠感とうつ症状の陰性症状しかありませんでした。

 

診断が難しいみたいです。

「うつ病」の治療を受けても良くならないわけです。

 

幻聴や妄想が無いから医者も入院するまで分かりませんでした。

陰性症状のみは珍しいパターンみたいです。

言っときますが、杏林大学医学部附属病院はまっとうな病院です。

その前に通院していた病院が悪かったのです。

私の病気の場合は、入院して24時間の監視体制で見ないと診断が難しいみたいで。

 

入院中にはカンファレンスに出席しました。

お医者さん達の症例会?勉強会みたいなもの?です。

私のカンファレンスで紹介された症例は「うつ病と診断された統合失調症」でした。

 

その後は入院しながら薬の調整を行い2006年の秋に退院しました。

 

そして、今は同じ杏林大学医学部付属病院への通院に変わりました。

 

この日記を書いている今は自宅療養中になります。

 

うつ症状は無いけれど、体が重くてダルイし、難しい事は長時間考えられないです。

体の血管の全てに鉛が流れていていると思えるぐらい体が重いです。

うつ症状は本当に最悪でした。

重度のうつだと起きて生きているだけで辛いのです。

起きて意識があるだけで辛いので、寝たりして意識が無くなることを望むようになります。

 

幸いなことに私のうつ症状については薬が効いてくれました。

 

医者から最低3ヶ月、最長半年の療養を言いわたされてます。

 

タケシ
タケシ

今はもう2ヶ月が過ぎました。

 

自分はどうなるのだろう?

 

そして、あの入院生活で知り合った他の精神疾患の人達も。

タケシ
タケシ

どういるのだろう?と思います。

 

うつ病とパニック障害と適応障害が多かったです。

人の事を考えてる場合では無いですが。

 

今はブログを始めたりと、家の中で出来ることでやりたい事をやれる時にしているだけです。

 

今後の経過についてはこのブログの日記に書いて行く予定です。

 

宜しくお願い致します。

 

【追記2018年12月7日】

今はうつ症状も陰性症状も少なくなりました。

障がい者雇用ではありますが週5日で1日6時間働いています。

 

疲れやすくて、睡眠薬時間が長いだけです。

平和であります。

もちろん薬は毎日服用しています。

自分の病気の特徴と言うか、特性を理解出来たので、復活に向かっています。

 

私の統合失調症日記
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